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大会の模様はNHK Eテレより、2015年7月12日(日)午後3時〜4時に放送されました。
出場者12名のスピーチは以下をスクロールしてそれぞれご覧になれます。
(Ms. Fatoumata Bintou Diop)
セネガル出身、船橋市在住 日本文化・宗教研究者
幼い頃から科学、宗教、文化の勉強が好きでした。高校生の時、日本の歴史に興味を持ち、独学で勉強するようになりました。さらに、日本文化、精神に関する知識を深めるために3年前に来日しました。日本人と接し日本精神の素晴らしさを感じました。それを一人でも多くの方々に伝えさせていただきたいと思い、この大会に応募しました。
(Mr. Alimansyar)
インドネシア出身、東北大学 大学院生
来日は3回目で、合わせて7年間くらい日本に住んでいます。その間ずっと日本のオリジナル文化は何か、を探し続けていますが、未だ見つかっていません。私にとって日本は謎だらけの国です。ただ、遠藤周作の『沈黙』に「この国は沼地だ」と書かれていました。日本にはどろどろの沼地のような部分があり、そこに入るとどんなものでも飲込まれて変わってしまうという意味だそうです。おそらくそれは日本には「造り変える力」があるからです。これこそが日本のオリジナル文化ではないのかと考えはじめています。この本から刺激を受け、別の観点から自分なりに日本の「造り変え」の文化について取り上げてみたいと思い、この大会に応募しました。
(Ms. Lin Zeyu)
中国出身、千葉市立稲毛高等学校 高校生
私のニックネームは天然です。新しいことに挑戦するのが大好きです。昨年9月、上海から日本に留学して以来、茶道や琴の授業を受けたり、弦楽オーケストラ部に入って、チェロを弾き始めました。テニスやカヌー、乗馬も体験しました。挑戦を楽しむには自分の心をいつも開いていることが必要です。それが出来れば、たくさんの友達もできます。それが国際交流の第一歩に違いないと思います。
(Ms. Duro Agota)
ハンガリー出身、広島市立大学 大学院生
最初に日本に来たのは2010年の秋です。デブレツェン大学からの交換留学生として、青森県の弘前大学に一年間留学しました。帰国後デブレツェン大学を卒業、2013年に文部科学省から奨学金を受けることになったため、4月に改めて来日し、研究生 として一年半弘前大学で過ごしました。そして昨年10月に広島市立大学博士後期課程に入学、弘前でも研究していた「広島の原子爆弾投下の集団記憶と在韓被爆者」について、引き続き広島で研究しています。この研究を始めて平和の重要性に関して気付いたこと、感じたことが沢山あるので、この機会に皆様にこの経験を伝えられたら、と思います。
(Ms. Dashibileg Zandarmaa)
モンゴル出身、東洋大学 大学院生
私の日本語と出会ったきっかけは偶然のことでした。当時、高校3年生だった私が、日本の外務省のプロジェクト「21世紀東アジア青少年大交流計画」に参加し10日間日本を訪れる機会を与えられたのが始まりです。それ以来、日本語を猛勉強し、3年前にようやく日本留学の夢が叶えられました。そして憧れの日本でこのような立派な弁論大会に出場できることは私にとって名誉なことです。
(Ms. Li Yue)
中国出身、同志社大学 大学生
昨年の9月に日本に留学に来ました。今は別科生として、日本語を勉強しています。大学院への進学も考えています。日本の伝統文化の魅力に引かれ、茶道や百人一首などを習い始めました。また、日本人の方々に中国語を教えています。将来は日中友好のために、中国語教師になりたいと考えています。
(Mr. Andre Ramon Perez)
アメリカ出身、宮城県庁 国際交流員
気の利いた事が言いたい時に限って月並みな事しか思い浮かばないものですよね。人生は不思議なものです。今日はどうすれば忘れないのかと、この問題の心の「不思議」による解決法と、私が日本での仕事を通して体験して感じた、忘れない事の大切さについてお話をさせて頂きたいと思います。私の話が、皆さんにとって「忘れられない」話になればと願っております。本日は私の話を聞いて下さり、誠にありがとうございます。
(Ms. Janelle Joyce Sarmiento Cahilig)
フィリピン出身、横浜デザイン学院 専門学校生
内気だった私を変えたのは、日本の歌でした。新しい自分を見つけたのは、日本語という美しい言語との出会いがあったからです。ですが、どんなに聞いても、歌っても、話しても、どうしても理解できない言葉はたくさんあります。解らないのに、なぜこんなにも自分の感情の表現が豊かになるのか。日本に行ったら分かるかもしれない。そんな気持ちを抱き、日本に来ることを決めました。来日して、思った判ったこと、そして感じたこと、私の心の種をこの大会を通じて皆様に伝えたいと思います。
(Ms. Do Mac Quy Hoa)
ベトナム出身、筑波大学 大学生
私は中学生の時から「ガラスの仮面」という漫画を読み、どんな困難があっても夢を諦めず、最後まで精一杯頑張る性格を持っている主人公を通して日本人の精神力の強さに感心し、日本語を勉強し始めました。しかし日本語が大変難しい言語であるため、何回も諦めようと思いました。そのような私を変えたのは日本食レストランでのアルバイトでした。そこで多くの日本人と接し、日本人の優しさや義理人情に厚い心を感じ、日本が本当に好きになりました。今まで見守り、応援いただいた日本人の方々に心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
(Mr. Nebibanga Evina Guy Bertin)
カメルーン出身、高知工業高等専門学校 高等専門学校生
日本に来て文化の違いを感じたものは「日本食」です。また、とても感心したものは「おもてなし」です。2004年にノーベル平和賞を受賞したマータイさんは世界に「もったいない」を紹介しましたが、私は「おもてなし」をカメルーン・アフリカ、世界中に広めたいです。
(Ms. Olesik Paula Ewa)
ポーランド出身、兵庫教育大学 大学生
私は小さい時からずっと恥ずかしがり屋で、知らない人と話すのは苦手でした。大学に入ってから徐々に話せるようになりました。ポーランド人か、日本人か、それは関係ありません。弁論大会では、いろいろな人と出会って、新しい友達を作る機会だと思い参加しようと決めました。
(Ms. Merve Dag)
トルコ出身、名古屋大学 大学生
多くの日本人観光客が訪れるツアー会社で、運転手として働いている親日家の父親の娘です。このメルベという私の名は父の知人である日本人に付けられたそうです。ですから、生まれたころから私は日本と縁が出来ていると思います。高校生の時、よく魚を飼ったことから『ジャパニーズ・フィッシュ』というあだ名で呼ばれていました。今日は私のジャパニニーズ・フィッシュについて皆さんにお話しします。
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