第62回はコロナ感染症拡大のため無観客にて開催いたしました。
第62回実施要領、申込書などはこちら
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コ―トジボワ―ル出身、宗教法人 団体職員
日本に来てから学んだこと、謙虚さ、積極性、責任感、全力を尽くすなどは全て、「させて頂きます」という言葉に凝集されていると感じています。自分が会社や学校、家、どんなところでも、本当に役に立ちたいと思えば、積極的に行動するのです。言われてする姿勢から、自分から気付いて積極的に「させて頂く」ことによって、自分自身が成長し、大きく学び、人も付いてきてくださると、思います。いずれアフリカに帰って、自分の姿を周りに示していきたい。そのためにも自分を磨いていきたい。させて頂きます!という人が増えれば増えるほど世界恒久平和に繋がることをお伝えしたいのです。
ボリビア出身、ヨシダ日本語学院 日本語学校生
言語、心理学、演劇を学びました。歌ったり、異なる文化について話したりするのが大好きです。私は何年も前から日本に来ることを計画し、ボリビアのラパスに住む日本人の先生に日本語を教えていただきました。今、私は日本語能力試験N2を取得するために新しい生活を頑張っています。私たち一人一人が何かを共有することができるといつも考えており、私はみなさんと文化や経験を共有したいと思っています。だからこそ、このスピーチコンテストに参加するという素晴らしい機会に恵まれたことへ感謝しています。
モンゴル出身、リングイスト語学スクール代表
福島学院大学 非常勤講師
幼いころの私は、暗い子供でした。人と話すことができず、ある意味恐怖症を持っていました。高校からの夢が経営者になること、その先、政治家になるという夢を抱くようになり、少しずつあらゆるスピーチ大会に出るようにしていました。学生時代、全日本学生英語スピーチで2位をとりましたが、1位にはなれませんでした。ずっと引きずっているその後悔をなくし、スピーチを認めて頂き、また次のステージに自信をもって挑みたく応募しました!
アメリカ出身、米沢市 国際交流員
「私は普通のアメリカ人女性の格好をしていますが、実は一般人とは違うという秘密を抱えています。何だと思いますか?教えてあげるけど、内緒にすると約束してください。」アメリカは、もちろん「ダイバーシティー」のある国ですが、国際交流員として2年間山形県に住む経験から日本にもかなり多様性があると気が付きました。「十人十色」のことわざのように、みんなは自分の色があり、それに世界の多様性が現れています。私が気付いたこの多様性について皆さんと共有できれば嬉しいです。
韓国出身、会社員
人間としてもつ自然な考え方さえ、政権によってコントロールされる自由のない国北朝鮮での23年、世界と交流が断絶された国で生まれ育った私にとって北朝鮮で学んだすべてが真実であり、世界で最も祝福された暮らしをしていると思っていました。好奇心旺盛な幼いころの私はお隣の国日本に興味を持つようになり、いつか日本へ行ってみたいと思っていました。しかし、一般国民には許されていない海外渡航、夢を叶えるために命懸けの脱北に挑戦し、今日本にいることが「奇跡」です。
南アフリカ共和国出身、神戸情報大学院大学 大学院生
自分自身にチャレンジし、自分の人生のストーリーと人生の探求を続けるためのインスピレーションをシェアしたいと思っています。このコンテストに参加することは、あきらめず、日本語の勉強を続ける励みになりました。さらに、JLPT(N3)にチャレンジする決心の後押しにもなりました。私は日本に住んで約5年、日本人と仕事をして7年になりますが、日本文化の深いところにある、意志の強さにとても感動しています。私の生活は日本の仕事の倫理やライフスタイルに非常に刺激をうけており、それと融合していますので、それがどのようにして起こったのかを皆さんとシェアしたいです。
中国出身、二松学舎大学 大学院生
佐賀県唐津市の友好都市である中国江蘇省揚州市出身です。ポジティブで、人とコミュニケーションすることや思索すること、挑戦することが大好きです。新しい環境に入ったり、新しい事物に触れたりするときには、できるだけ早くそれらに馴染もうとするために、既にそこに携わる人の考えを参考しがちです。その情報がとても便利なツールであることは否定できませんが、全部を真に受けると、それは大きな落とし穴になりかねません。物事を判断するときには、「耳」より「心」を大事にしてもらいたくて、この度この大会に参加しました。
インドネシア出身、広島大学 大学生
私は関西弁と広島弁が大好きです。大阪と広島に暮らして、標準語で喋る日本人が少ないことに気づきました。最初は方言で話しかけられたら、色々分からなかったが、時間が立つにつれて、方言が好きになりました。方言は日本語の一つの魅力で、その魅力を多くの外国人に知ってもらいたいと思い、弁論大会に応募しました。
アメリカ出身、佐賀市 国際交流員
日本に来てからもうすぐ3年になります。この間、自分自身について、大人になることについて、人生を生きることについて、そして感謝することについて、たくさんのことを学んだと思います。私はインド人の両親のもと、アメリカで育ちましたので、周りの人との文化の違いには常に慣れています。違いによって孤立するのではなく、その違いを祝福し、違いがもたらす成長と学習の機会に感謝することを、私の育った環境はこう教えてくれました。
アメリカ出身、四国中央市 国際交流員
歌は色々な役割を果たします。ストレスを和らげたり、人と人の繋がりを深めたり、心も快復させることができます。1人の気持ちを世界の皆と分かち合うことができます。東日本大震災の5年後、私は被災地である大船渡市に引っ越しました。気仙地方の合唱団に参加して、地元の方々と色々な作曲家の歌謡曲等の邦楽に触れました。合唱練習と追悼演奏会を通じて大震災が理解でき、被災地に住む方々と友情の絆を結ぶことができました。
日本に留学していたころ、頭にトゥドンを被っている私はいつもじろじろ見られていました。それをきっかけに、日本人の方にマレーシアや世界についてもっと知ってもらいたいという夢を持つようになりました。2017年、JETプログラムで国際交流員として鹿児島県日置市に派遣され、自分と日本のことを再発見することができました。コロナ過の中ではありますが、差別、偏見などと言うことをもう一度みんなで一緒に考えたいと思い、この大会に応募しました。
ルワンダ出身、東海大学 大学生
志を持って遠く離れたところから留学のために日本へ来て、学校の勉強以外にも、日本での生活を通して、文化の面での違いを感じ、その違いからも多くの事を学ぶ事ができ、自分が成長したと思います。文化の違いを通して、学んだことをぜひみなさんにお伝えしたいと思います。また、海外に少しでも興味を持って、海外に出て新しい文化に触れ、私のように何かを感じて、学んでいただけると嬉しく思います。